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帰ってきたヒトラー(2015ドイツ)★★★★★

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 もし、現代ドイツにヒトラーが蘇ったらどうなるか、を描いた映画。
 この映画のハイライトは中盤でのヒトラーTV初出演シーンだ。

 

 ドイツは政治風刺が堂々と放映されている。
(先日もタイの王室の結婚式を茶化したドイツの放送局が謝罪に追い込まれたのは記憶に新しい)
 現代ドイツ、蘇ったヒトラーは、ヒトラーのモノマネ芸人として登場するのだ。
 モノマネだと思わせて本物だったという古典的コメディの展開である。 

 
 視聴者はヒトラーの大げさな演説のモノマネを期待する。
 ところが、蘇ったヒトラーは一分弱にも及び沈黙する。

 本物のヒトラーも演説における沈黙の効果を最大限に活用した。
 その長い沈黙のあとで、彼はおだやかな口調で語りかけるのだ。
 
 敵を声高に批判するだけの演説に誰が耳を傾けるだろう?
 ヒトラーの演説は自分を賛美する者だけに向けられているのではない。
 ヒトラーは文字通り、裸一貫の状態から、支持者ゼロの状況から、弁舌の才だけでのし上がった男なのだ。
 
 現代ドイツに蘇ったヒトラーは最初は戸惑い、トラブルを起こす。
 しかし、ヒトラーはくじけない。軍歴が伍長にすぎず、美術学校に落ち続けたヒトラーは、人々にぞんざいに扱われて癇癪を起こすような、プライドの高い中年とは異なる。
 もともと頭の回転は早く、フューラー(指導者)という称号で、世界を代表する独裁者にのしあがった稀有な男だ。
 ヒトラーのそっくりさんと笑われていた蘇ったヒトラーは、やがて、インターネットを知り、恐るべき早さで現代時勢を把握していく。
 それと同時に、現代ドイツの抱える問題に気づくわけだ。
 
 TV初出演時に、蘇ったヒトラーはこう語る。
「誰がこんな時代に子供を産もうとするだろうか? 誰も子供を産まない今のドイツは奈落に突き進んでいる。だが、誰も奈落を知らない。TVは奈落を映さないからだ。今のTV番組を見てみるがいい。TV番組が放映するのはなにか? 料理番組ばかりだ! 私は諸君らに奈落を見せよう。そして、それを共に克服してみせよう。そのときが、偉大なドイツの誕生なのだ!」
(僕の記憶による書き起こしなので、細部は間違っているかもしれません)
 
 ヒトラーのモノマネ芸かと思いきや、現代ドイツの出生率低下という問題を鋭く指摘する蘇ったヒトラーの弁舌に、視聴者は魅了される。
 それから、蘇ったヒトラーはTV芸人として、様々な相手と対談する。本物のヒトラーの演説の記録に見てみればわかるが、相手を屈服させるようなことをヒトラーは言わない。正論で自分が勝ったと誇示するような愚行をヒトラーはしない。当時のドイツの知識人の多くが「ゲッベルスの大衆を愚弄化する宣伝はうんざりするが、ヒトラーは信用できる」と語っているのは、ヒトラーの弁舌は敵を仲間に引き込むためのものだからだ。
 
 この映画では、蘇ったヒトラーは犬関係のトラブルを暴露されて失脚する。
 しかし、挫折にくじけるようなヒトラーではなく、大衆の人気を取り戻すために回想録を執筆し、ふたたび人気者になっていく。
 
 ここで、多くの人は疑問をいだくだろう。
 ヒトラーといえば、ユダヤ人排斥を起こした張本人である。
 現代に蘇ったヒトラーは、ユダヤ人を憎むような演説をしなかったのか、と。
 それについて、この映画では恐るべきことを語る。
「物事には順序というものがある。1936年のベルリン五輪を開催したときも、私はユダヤ人を迫害しなかった」と。
 
 TVで人気者になった蘇ったヒトラーは、親衛隊を募る。
 遊び半分で応募した若者たちに対して、蘇ったヒトラーは容赦ない言葉を浴びせる。
 なにしろ、世界相手に戦った男だ。肝のすわり方は尋常ではない。
 やがて、現代の若者たちは、かつてのSSに匹敵するほどの整然とした行進をするようになる。
 このシーンは、現代でも数多い「若者たちに自衛隊を経験入隊させて、マナーを叩きこませるべき」と苦言をする人に見てもらいたい。
 ナチスはこれまでの独裁国家の中で、もっとも美意識に優れていた。例えば、党大会を記録した『意志の勝利』、ベルリン五輪を記録した『美の祭典』。これらは古典映画の金字塔として、後世に多大な影響を与えた。
 ちなみに、日本の外交官、松岡洋右もこのナチス映画に感動して、ドイツと組んで米国と戦うという無謀な戦略を思い描くようになったのは有名だ。
 
 この『意志の勝利』や『美の祭典』を制作した監督は、レニ・リーフェンシュタールという女性監督。
 当時、30代だった彼女の才能をヒトラーは認め、ナチスの宣伝映画の監督を依頼する。
 彼女はナチス思想の支持者ではなかったが、国家予算で前人未到の映画を制作するという要求に勝てなかったのだろう。
 事実、これらの映画の映像はとてつもなく美しい。
 そして、彼女はゲッベルス(女優との不倫で有名)とは、いろいろいさかいがあったみたいだが、ヒトラーとの関係は悪くなかった。
 もともと、ヒトラーは姪のゲリを最愛の女性としたような、ちょっと変わった女性観の持ち主であり、女性関係でのトラブルが少ないことで有名だ。
 この映画でも、蘇ったヒトラーは、女性放送局長の有能さを認め、その信頼を勝ち得るようになるのである。
 
 こうして語ると、この映画はヒトラー賛美につながる危険な要素があるのではないかと感じるかもしれない。
 しかし、この映画の目的は「もし、現代にヒトラーが蘇っても、過去の誤ちをおかすはずがない。そうだろ?」というメッセージが込められているのだ。
 この映画の最後、蘇ったヒトラーは自身の回想録をもとにした映画の主演を果たし、新たな親衛隊に囲まれている。
 それは危険な兆候である。
 だが、それが新たなヒトラーの独裁の始まりを意味するのではない。
 人類は第二次世界大戦の多大な犠牲から学んだはずなのだ。
 だからこそ、この映画は狂人ヒトラーを描くのではなく、あえて、ヒトラーの人間的魅力を描いているわけである。
 
 この映画は現代日本人にもオススメしたい内容だ。
 かつて、日本はナチスドイツと同盟を組み、それこそ、世界相手に戦争を起こし、多大な犠牲を出し、敗北した。
 この映画は2015年の現代ドイツを描いている。YoutubeTwitterなどのSNSも出てくる。
 だから、日本でこのような新たな独裁者が現れたとき、我々はどうすべきだろうか、考える手がかりになるはずだ。