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ウィンストン・チャーチル(2017年イギリス)★★★★☆

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 ヒトラー映画を二本見たので、今度はチャーチル映画を見ることにした。
 「Vサイン」で有名なイギリス首相チャーチルだが、いつも葉巻をくわえた肥満男で、朝から酒を飲む、紳士からも英雄からもほど遠い人物であった。
 対ドイツ戦ではイギリス首相として国民を牽引したものの、1945年7月の選挙に敗北して、なんと、第二次世界大戦終結を待たずして首相を辞任している。
 その後、1953年にはノーベル文学賞を受賞。本人は平和賞が欲しかったとコメントしているが、人々は政治家としてのチャーチルを賛美したくなかったのだろう。
 しかし、チャーチルがイギリス国民に徹底抗戦を訴えていなければ、現在の世界地図は大きく変わっていただろう。この映画は、そんなチャーチルの決断を、チャーチルの人間的側面を重視して描いた作品である。

 

 チャーチルがイギリス首相に就任した1940年5月、欧州はナチスドイツに屈しようとしていた。
 ドイツ西部戦線の進撃に、イギリス・フランス連合軍は連戦連敗。ヒトラー電撃戦になすすべもないまま、フランス海岸のダンゲルクに連合軍30万の兵士は追いつめられてしまう。
 チャーチルは国民的人気はあったが、党の支持者は少ない。だから、挙国一致内閣と称して、政敵を含めた組閣をしていたが、彼らはナチスドイツへの対決を避けようとした。向かうところ敵なしのナチスドイツと戦うとなれば、兵士ばかりか市民ですら犠牲になってしまう。
 当時、イタリアはフランス・イギリスに宣戦布告しておらず、和平交渉の窓口が開かれていた。イタリアはイギリスの主権を認めた、ナチスドイツとの講和を提案していた。それを受け入れれば、ダンケルクの30万人の兵士は助かる。
 ところが、チャーチルはその講和案を一蹴し、ナチスドイツとの全面対決を国民に訴えた。
 これは、ヒトラーにとって大誤算であった。もし、チャーチル以外の者がイギリスの首相であれば、ナチスドイツと講和していたかもしれず、そうすれば、フランスと同じように、イギリスも傀儡国家となっていただろう。
 このチャーチルの決断は、その後の世界に大きな影響を及ぼした。
 この映画は、首相就任一ヶ月間のチャーチルに焦点をあて、ナチスドイツへの徹底抗戦がどれほど勇気のある決断であったかを劇的に描いた作品だ。
 
 日本では2018年3月に公開。同月の第90回アカデミー賞では、チャーチル演じたゲイリー・オールドマンは主演男優賞、その特殊メイクを担当した辻一弘はメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞して話題になった。
 日本語タイトルはやや大げさで、原題は「Darkest Hour」。前述したように、チャーチルの首相就任一ヶ月間に焦点をしぼった内容である。
 
 この映画はチャーチルを美化していない。チャーチルは四六時中、葉巻をくわえた肥満男であり、朝から酒を飲んでいる。後にノーベル文学賞を受賞したほどの文筆家でもあるのだが、口述筆記を担当する秘書には「バカ」だの「うすのろ」だの罵詈雑言を浴びせまくる。チャーチルの経歴は英雄にほど遠い失敗ばかりで、政治家には「チャーチルは作戦に失敗して多大な犠牲を出す」と警戒されている。もし、非常時でなければ、こんな男がイギリス首相になるはずがないと、この映画を見た者なら誰もが納得できるだろう。
 ヒトラーという怪物に対抗するために、イギリスはチャーチルという変人を選んだのだ。
 
 この映画では、ヒトラーは出てこない。そして、チャーチルの政敵たちは、ヒトラーを極悪人とは見ていない。現代人ならば、ナチスドイツが占領下のフランスでどのような政策を行ったか知っているが、この映画の登場人物たちはそれを知らない。
 そして、この映画では「市民」が終盤の地下鉄の場面まで描かれていない。これもまた、映画に劇的な効果を与えている。
 イギリスは紳士の国である。国政にたずさわるものは、ほとんど貴族で、庶民とは隔絶した環境に置かれている(チャーチルも貴族出身)
 チャーチルが首相に就任した1945年5月、イギリス・フランス連合軍は連戦連敗。イギリス軍はダンケルクで包囲され、全滅が必至。この絶望的な状況で、イギリス貴族たちはナチスドイツどの講和を水面下で模索している。貴族は何よりも失うのを恐れる人種である。もし、ナチスドイツと対決して、敗戦すれば、責任をとるのはそれを決断した男だ。イギリス貴族はそんな責任を負いたくない。
 チャーチルは首相就任演説で何度も「勝利」を主張した。しかし、イギリス国会でそれに拍手する議員は一人もいない。そして、チャーチル自身、国民的人気はあるが、それは文筆業によるもので、軍事的成功をなしたわけではない。それどころか、第一次世界大戦では、致命的な失敗もしている(ガリポリの戦い)。チャーチルに軍事的才能がないことは、政敵のみならず、本人が自覚していた。
 だからこそ、チャーチルは悩む。首相になったのも、絶望的な状況の責任を負わされるための、いわば貧乏くじである。もともと、党に支持基盤はもたず、自分を支持する派閥もない。チャーチルは孤独に悩み続け、ナチスドイツとの徹底抗戦への決断をにぶらせる。
 そんなチャーチルの目を覚ましたのは、ロンドン市民たちだ。閣僚たちがナチスドイツとの和平交渉の決断を迫るなか、チャーチルは思い立って、生まれて初めてロンドンの地下鉄に乗る。
 そこで、チャーチルは市民たちの声を聞く。市民は誰もがナチスドイツとの全面対決を訴えていた。チャーチルは迷いを断ちきり、高らかに勝利を訴える。そして、あの有名な「Vサイン」を戦争が集結するまで、イギリス国民の前に見せ続けるのだ。
 
 チャーチルは後世から見て、批判されることの多い政治家である。彼は帝国主義者であり、インドの独立を拒み、ガンジーが大嫌いだった。彼の回顧録は、自分を美化しすぎていると、歴史家には非難されつづけている。生前も、その人気は盤石とは言えず、1945年7月の選挙ではまさかの敗北。第二次世界大戦終結の前に、首相の辞任に追い込まれている。
 それでも、チャーチルだからこそ、イギリスはナチスドイツに徹底抗戦ができたのだ。もし、イギリスが1940年5月にナチスドイツと講和していたら、現在の世界地図は大きく変わっていたかもしれない。
 そんな変人チャーチルの魅力を、この映画は伝えることに成功している。
 
 ただし、この映画は歴史に忠実とは言いがたい。この映画では、秘書エリザベス・ヘイトンがヒロインとして描かれているが、実在の彼女がチャーチルの秘書になったのは1941年のことだ。なお、映画ではヘイトンの兄が戦死したことになっているが、これも創作である。
 なぜ、わざわざ、そのような創作をしたのかといえば、ヘイトンの回顧録が、チャーチルの人間像をよく捉えていたからだ。
 このヘイトンが、首相就任時にチャーチルの秘書となっていたら、という仮定から、この映画は描かれた。
 だからこそ、この映画はチャーチルを英雄ではなく、変人としての魅力を描くことに成功しているといえよう。
 とはいえ、終盤までロンドン市民の声が聞こえなかったりと、時勢を描いているとは言いがたい作風である。
 
 チャーチルという人間に興味を持つきっかけとしては役立つ映画である。アカデミー賞で主演男優賞とメイクアップ賞は受賞したが、脚本賞はノミネートすらされなかったことからも、チャーチルの魅力を描くことに専念した作風であることがうかがえるだろう。
 実際、僕はこの映画を見たあとで、チャーチル関連のWikipediaをあさることになった。改めていうが、この映画は「きっかけ」にはなるが、この映画だけで「わかる」ほどの満足感は得られない。創作部分は多く、この映画の全てを信じるのは危険である。ゆえに評価は★4。

 

 最後に、この映画のエンドロールで流れたチャーチルの名言を。

 

成功も失敗も終わりではない

肝心なのは続ける勇気だ

 

 僕もこの映画感想備忘録を、できるかぎり続けたいと思う。もし、その時間も割けないほど、大事なものが見つかったとしたら、迷うことなく、そちらに全力を注ぐけれど。